大阪・寝屋川石田ボクシングクラブ
会長挨拶NOBUHIRO ISHIDA

NEYAGAWA ISHIDA BOXING CLUB会長
石田 順裕
NOBUHIRO ISHIDA経歴
元 グリーンツダボクシングジム所属アメリカ・ゴールデンボーイプロモーション
メキシコ・カネロプロモーション契約選手
2011年 | アメリカ・リングマガジン・アップセット・オブ・ザ・イヤー受賞 |
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2011年 | スポーツ・イラストレイテッド・アップセット・オブ・ザ・イヤー受賞 |
2015年 | 日本プロスポーツ大賞 功労賞 受賞 |
第28代日本S・ウェルター級チャンピオン
第23代OPBF東洋太平洋 S・ウェルター級チャンピオン
こんにちは、NEYAGAWA ISHIDA BOXING CLUB会長の石田順裕です。この度は当ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
当クラブで、
ボクシングは「おもしろい」「楽しい」「誰にでもできる」ということを感じて頂けたら嬉しく思います。
昔話になりますが、寝屋川市内にある子どもがいました。
その子どもは幼稚園の頃、少し弱虫でした。
それを心配した父親はこの子にボクシングを教え始めました。しかし、弱虫のその子は嫌で仕方ありませんでした。
ボクシングは怖い…。
しかしながら、父親とのボクシングの練習は続き、気が付けば小学生。弱虫だった子どもはもういません。たくましくなったのです。
それはただ単に喧嘩が強くなったということではありません。自分自身に自信がついたからだったのです。
時には馬鹿にされることがあったとしても、それを気にすることがなくなり、精神的にも成長したのでした。
そして中学に入学する頃には、大阪市内のボクシングジムに通い出して、同じ目標を持ったたくさんの仲間ができました。
そんな少年が、高校へ入学して全国優勝を、そして大学では 全国準優勝を飾りボクシング部のキャプテンも務めました。
24歳でプロボクサーとなってからは、日本、東洋太平洋、世界のタイトルを獲得し、アメリカの大手プロモーションと契約して、世界各地で試合をしました。アメリカで活躍した数少ない日本人の1人となりました。
現役の最後には「おもしろいことしたい。」と、体重を20㎏も増やしてヘビー級にも挑戦しました。
ご存知の方はうすうす気づかれたかもしれませんが、この弱虫だった小さな子どもは、僕のことです。弱虫だった僕が、こんなにも変われたのは、ボクシングで自分に自信をつけたから、そして多くの仲間に支えられたからだと思っています。
たくさんの人にボクシングを楽しんでもらいたい。そしてクラーク・ケントがスーパーマンになるように、当ジムで「普段の自分とは違う、もう1人の自分」に出会ってもらえたなら、本当に嬉しく思います。
当ジムでは、全トレーナーが、皆様にあった指導を心掛け、初心者、女性、小学生にもわかりやすいプログラムを組ませて頂いております。
一緒に楽しみながら、ボクシングにチャレンジしてみませんか?
石田順裕wikipedia